沿革

修善女学校から萩光塩学院へ

 修善女学校は明治21年5月、真宗婦人会修繕講が西田町本願寺別院内に創立され、中村雪樹が初代校長となった。25年5月には杉民治が2代目の校長になった。
 明治26年、萩婦人会が設立され、学校もその経営に移されたが、維持困難のため明治29年5月いったん休校した。
 明治36年11月好生館を仮校舎として萩婦人会修善女学校と改称した。
 大正2年8月、江向添沖田に校舎を新築移転した。
 学校は昭和14年4月に修善高等家政女学校、19年4月に修善高等女学校と改称。23年4月「萩女子学園」として再出発した。旧制の修善高等女学校は翌24年3月をもって廃校。
 昭和27年2月、萩カトリック教会のヴィエラ神父によりカトリックメルセス会に引き継いで今に至るのである。

萩光塩学院設立の歩み

⑴修善講~萩女子学園~萩光塩女子学院
 明治23年、萩市西田町本願寺別院内に修善講女学校が設立された。明治29年、経費の都合上休校となったが、明治36年萩婦人会(初代会長は毛利安子)は瓦町新堀の好生館を仮校舎として再興し、私立萩婦人会修善女学校と改称した。その教育方針は「女子に必須なる知識能力を授け、徳性を涵養し、その品格を高め、人格ある家庭の主婦たらしむ」ことであった。大正2年、江向河添沖田に校舎を新築し移転した。
 昭和23年、学制改革により、新制高等学校「萩女子学園」として再出発したものの、新制中学、高校の新設により入学者は減少し、再び経営は困難に陥った。このことを伝え聞いた萩カトリック教会主任ヴィエラ神父の紹介により、学校の資産、職員、生徒の一切を引き継いで、ベリス・メルセス宣教修道女会が経営することとなった。昭和26年10月3日、学校法人萩女子学園と学校法人光塩女子学園の吸収合併式を経て、昭和27年度より萩光塩女子学院は開校した。

⑵明治維新胎動の地で
 萩光塩学院の敷地内には、今も修道院として使用されている古い邸宅がある。かつて毛利家別邸であった建物である。
萩婦人会の会長を務めた毛利安子 (1843-1925)は、かつての長州藩世子毛利元徳夫人である。先に記述されるとおり、毛利安子は萩婦人会修善女学校開設時に大きく貢献された。NHK大河ドラマ『花燃ゆ』で有名になった吉田松陰の妹である楫取美和子は、毛利安子の嫡男(毛利元昭)の世話役を務めた人物であるが、その兄、杉民治(1828-1910)は修善女学校の校長を務めた。このように、萩光塩学院は、明治維新の地でその使命を受け、明治・大正・昭和の激動の中、萩市の女子教育を牽引してきたのである。

⑶光塩の創立者マドレ・マルガリタ(1884~1934)
  光塩の母体であるメルセス会は、1218年、聖ペトロ・ノラスコにより、スペインで創立された修道会である。1540年、北スペインの寒村ベリスにメルセス修道院が建てられた。その後300年にわたり、この修道院は観想修道院として祈りのうちに神に献身する修道女たちが生活した。
1924年、この修道院の一修道女マドレ・マルガリタは、観想修道院を宣教修道会に改変した。その二年後の1926年9月19日最初の宣教女たちが中国に向かって出発した。1928年、南洋視察旅行の途中、マドレ・マルガリタは日本に立ち寄った。東京における学校建設に可能性を調べるためであった。当時の東京大司教シャンボンの熱心な勧めと協力を得、困難にもめげず、学校建設はおしすすめられた。1931年、東京杉並区に光塩高等女学校という名で光塩は誕生した。マドレ・マルガリタはこう述べている。「私の最大の夢は、日本にカトリック学校の連鎖をつくり、社会に有益な女性を育てることです」

⑷円型校舎の建設
  毛利家から譲り受けた別邸校地内に鉄筋コンクリート3階(一部4階)の円型校舎が完成し、その落成式を迎えたのは昭和30年10月のことだった。それまでの江向校舎の建物は古く、立て直しは皆の悲願であった。新校舎着手までのシスターたちの努力は並大抵のものではなかった。シスターたちは、先生、生徒たちに呼びかけバザーを行った。「セメント一袋を」とのモットーのもとに、バザーの収益は建設資金にあてられ、スペインの姉妹校の援助をも請うた。皆が一丸となって完成した校舎は、日本でも珍しい円型校舎であった。

  沿革
   1800(明治23年) 修善講設置(萩町本願寺別院) 校長 中村雪樹
   1896(明治29年)  休校
   1903(明治36年)  萩婦人会によって萩婦人会修善女学校 設立
   1948(昭和23年)  学校教育法第4条により高等学校設置認可を得、萩女子学園と改称
   1952(昭和27年)  学校法人光塩女子学園と学校法人萩女子学園とが合併
   1955(昭和30年)  東田町15番地毛利氏別邸校地内に円型校舎落成
   1959(昭和34年)  初等部校舎新築
   1963(昭和38年)  江向校地に園舎新築
   1966(昭和41年)  体育館・寄宿舎新築
   1968(昭和43年)  東田町園舎新築・テニスコート新設
   1981(昭和56年)  江向校地に幼稚園新園舎落成、2号館校舎落成
   1988(昭和63年)  小学校校舎解体、新築(現3号館)
   1990(平成2年)   東田町園舎、江向園舎と合併

萩光塩学院 沿革

萩光塩学院 円型校舎

 萩光塩学院は、 スペインを発祥地として、 世界の各地に広がるベリス・メルセス宣教修道女会* が設立母体となって、 1952年(昭和27年)4月に中学校・高等学校を併設して開校された。
 1955年(昭和30年)には幼稚園と小学校が設置され、 県下で唯一、 幼稚園から高等学校までの一貫教育のミッションスクールとして出発した。
 2002年(平成14年)まで約50年間、 中学・高等学校は女子教育に専念し、 小学校のみ共学であったが、 高等学校は2003年(平成15年)より、 中学校は2004年(平成16年)より男女共学に移行した。2008年(平成20年)4月、小学校は休校となった。
 東京に姉妹校、 光塩女子学院がある。

* ベリス・メルセス宣教修道女会
 当修道女会の歴史は古く、 西暦13世紀、 聖ペトロ・ノラスコによって創立され、 20世紀マドレ・マルガリタ修道女によって宣教会に改められ、 今日に至るまで社会に貢献する活動を続けている。

1952年(昭和27年)4月

東京にある光塩女子学院の姉妹校として、 萩女子学園 (江向・東田町15) のあとに萩光塩学院中学校・高等学校設立

1955年2月

小学校・幼稚園設置

1955年10月

円型校舎完成

1959年10月

小学校校舎新築

1961年9月

新館校舎増築

1966年6月

体育館・寄宿舎新築

1968年4月

幼稚園園舎新築

1971年9月

体育館と円型校舎を結ぶ渡り廊下増築

1976年11月

運動場拡張
創立25周年記念式典挙行

1980年8月

運動場拡張

1981年1月

江向幼稚園園舎新築

1981年4月

2号館校舎増築

1988年11月

小学校 (3号館) 校舎新築

1992年4月

東田町園舎、 江向に移転
東田町園舎改装、 4号館と改名

1993年6月

幼稚園多目的ホール増築

1999年4月

学校法人萩光塩学院へ移行

2001年11月

萩光塩学院創立50周年

2003年4月

高等学校男女共学に移行

2004年4月

中学校男女共学に移行

2006年12月

武道館新築

2008年(平成20年)4月

小学校休校