よくわかる!マドレ・マルガリタと萩光塩学院

「私はイエスのために働き、苦しむ生涯を愛する。
 しかも、闘いと苦しみの中に生きるこの生命を愛する。――マドレ・マルガリタ」

マドレの生い立ち

マドレ・マルガリタ・マトゥラナは1884年7月25日にスペインの北部ビルバオ市で生まれました。双子の姉妹で名前はマリア・ピラールとレオノールと付けられました。マリア・ピラールとレオノールは8歳まで「十字架の姉妹学校」で勉強し、その後はビルバオ市の学校で学びました。

修道院での生活

マリア・ピラールとレオノール

2人は19歳になった時、修道院に入りました。レオノールは「カルメル会修道院」へ、マリア・ピラールは「メルセス会修道院」へ。2人はとても仲の良い姉妹でしたが別々の修道院に入りました。
マリア・ピラールが入会したメルセス会修道院はスペインの北部にあり、フランスとの境にあるべリスという小さな村にありました。彼女はここで名前を「マルガリタ・マリア」と変えました。修道院では、他のマドレ(シスター)と一緒に世界の人々の幸せのために祈る日々を送っていました。
 3年後、マドレ・マルガリタは修道院が経営している学校の先生になりました。そして生徒たちを通して、本当に人を愛するということを体得していきました。「人のために自分の生命を与える」というメルセス会の愛の伝統が修道院にも学校にもあふれていて、宣教師を助けるさまざまな活動が始まりました。

宣教活動の旅へ

マドレ・マルガリタ・マトゥラナ

マドレ・マルガリタは39歳の時に学校の校長になりました。1年後、マドレたちの「他の国で宣教のために働きたい」という希望がローマ教皇に伝えられました。1924年、マドレたちは「宣教女」と呼ばれるようになり、1926年9月19日、ベリスの修道院から初めて6人のマドレが中国へ、1929年8月には10人のシスターがサイパンやポナペの島々へと出発し、この中にマドレ・マルガリタも一員として宣教活動に旅立ちました。その途中、中継の船を待つためにマドレたちは東京に1か月滞在しました。この滞在期間が、マドレ・マルガリタに日本での宣教活動と学校建設を強く希望させることとなったのです。

光塩女子学院(東京)の創設

東京に残った3人のマドレたちは、日本語を勉強しながら日本の若い女性たちのためにスペイン語や刺しゅう、絵画などを教え、学校を創る準備をしました。ベリスに戻ったマドレ・マルガリタや他のマドレたちは日本の学校創設のために毎日の生活費を倹約して日本にお金を送りました。そしてついに1931年4月、東京の高円寺に光塩女子学院が創設されました。

萩光塩学院の誕生

生涯を教育と宣教に捧げたマドレ・マルガリタは、自身の50歳の誕生日を迎える2日前の1934年7月23日に病気で亡くなられました。「天国から助けましょう」との言葉を最後にその生涯を終えられました。キリストへの愛、教会への愛、人々、そして学校への愛に燃え尽きたマドレ・マルガリタの熱意を継いで、1951年にこの萩の地に萩光塩学院が創設されました。
 2001年に創立50周年を迎えた私たちの萩光塩学院は、多くの人々の祈りと協力によって創られた学校なのです。