隣人愛 2月3日(金)

【朝礼の言葉】
 高3の卒業試験も明日で終わり、いよいよ別れの時が近づいてきました。2月は中3・高3の皆さんにとって、中学・高校の総仕上げと次に来る新しい生活のための準備の期間です。今の仲間と過ごす時間はもう2度とありません。この1カ月を大切に過ごしてください。
 今月の学院のテーマは「愛」です。今日は「隣人愛」について話したいと思います。聖書の中に「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉があります。この言葉から、隣人愛は自己愛を前提としていることが分かります。しかしこの自己愛とは、エゴイズムやナルシシズム、自己陶酔、自信過剰などといった間違った自己愛のことではありません。自分を正しく愛することが出来てはじめて、隣人を愛することが出来るようになります。また、「隣人愛」については「隣人とは誰か?」という議論があり、次のような有名な話があります。これは宗教の時間などにも聞いたことがある話だと思います。
『あるユダヤ人がエルサレムからの旅の途中、追いはぎに襲われ半殺しの状態で道端に倒れていた。そこにユダヤ人の祭司が通りかかったが、その人を見ると、道の向こう側を通って去って行った。次にレビ人もやって来たが、その人を見ると、同じように道の向こう側を通って去って行った。ところが、次に来たサマリア人は、その人を見ると哀れに思い、近寄って傷を消毒し、包帯をして、ろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして翌日、宿屋の主人に銀貨二枚を渡して言った。「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りに私が払います。」』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人だと思いますか。
 この話を理解するためには、登場した三人がどういう人間なのか知る必要があります。ユダヤ人の祭司は神に仕える人で、困っている人がいたら、真っ先に救いの手を差しのべるべき人です。レビ人も、神殿で門番と聖歌隊を兼ねるような役職で、やはり神に仕える人です。そしてサマリア人は、パレスチナのサマリア地方に住む人々のことです。ユダヤ人は、排他的で選民思想が強く、サマリア人を嫌い、軽蔑していました。ところで追いはぎに襲われたのはユダヤ人です。だからこの人を隣人として一番に助けなければならないのはユダヤ人の祭司で、その次がレビ人です。サマリア人にとってユダヤ人は、自分たちを軽蔑し、嫌っている人たちで助けたくはない人です。しかし結局、追いはぎに襲われた人を助け、ユダヤ人の隣人となったのはサマリア人でした。この話は、次のことを教えています。
 例え見ず知らずの人であっても、敵対する人であっても、その人が困っていたら、自ら進んで助けてあげること。つまり、「誰が自分の隣人なのか?」が問題なのではなく、「自ら進んで隣人となること」が、隣人愛の本質だというのです。このことから「隣人愛とは、自分以外の全ての人に対する愛である」ということができます。
 私は、隣人愛とは、他人の命を救うような仰々しいことだけではないと思います。例えば、自分の周りで嫌なことがあっても、周囲の人間や社会に対して怒りや憎しみをぶつけないこと。怒りが込み上げても、人の悪口を言ったり、罵ったりしないこと。弱い人間に対して、いじめや差別を行わないこと。そして出来れば、優しさや微笑をいつも絶やさないように努力すること。このように、周囲に対する「ほんの少しの思いやり」を持つだけでも立派な隣人愛だと思います。
殺伐としてストレスの多い現代社会の中では、このような「ほんの少しの隣人愛」を社会全体に浸透させることこそ、もっとも重要で大切なことだと思います。今月から優しさと微笑みの絶えない「ほんの少しの思いやり」のある学校にしていきましょう。